今こそ人間愛の文学を―「白樺」の時代


編集 中村稔・池内輝雄

「白樺」100号記念号(岸田劉生表紙)

「白樺」100号記念号(岸田劉生表紙)

「白樺」が創刊されたのは、明治43年(1910)4月のこと。この頃は日本では「韓国併合」「大逆事件」など、ナショナリズムが一段と強化された時期でした。
そうしたなかで、「白樺」の同人たちは個人を大切にし、「真に人を愛し、真に人に愛される」(武者小路実篤)ことを主張しました。この展観では、創刊から大正12年(1923)の関東大震災の影響による廃刊に至るまで、文芸誌としてのみならず、美術誌として日本の文学・芸術に大きな影響と存在感を示した「白樺」の精神と個性あふれる同人たちの歩みを、日本近代文学館に収蔵されている志賀直哉、有島武郎、有島生馬、里見弴、長与善郎ほか
の豊富な関係資料をもとにたどります。

部門構成と主な出品資料

第1部 「白樺」創刊まで

学習院を中心とした学年・年齢を異にするグループによって生まれた回覧雑誌、同人たちの書簡を紹介。


・「絢友会誌」(里見弴、児島喜久雄ら)
・里見弴による「白樺」表紙図案 など

第2部 「自己」像の確認―自画像を中心に

よく「自己」を見つめ「自分」という人称をもちいた同人たちが残した、顔のスケッチ。自分と他人を知ることでお互いを尊重しようとする姿勢を感じます。


・里見弴の志賀直哉宛はがきには4つの自画像(明治44年)
・有島武郎の滞欧画帖
・長与善郎の日記「五月女集」 など

第3部 「白樺」と美術―西洋美術の影響と紹介

「白樺」の大きな特徴といえる、西欧美術への強い関心。当時日本ではあまり知られていなかった美術作品を積極的に紹介し、日本の芸術界に大きな影響を与えました。

・「白樺」ロダン号(明治43年11月)
・留学中の有島生馬は志賀直哉に美術品や建築物の絵はがきを送り当地の香りを伝える(明治39年11月5日ほか)
・『泰西版画展覧会目録』 など

第4部 「白樺」同人の活動と交流

武者小路実篤と「新しき村」の活動


・志賀直哉に来村を呼びかける手紙(大正9年3月6日)
・武者小路実篤詩稿「戦争はよくない」扁額
小説家・志賀直哉
・表題の変遷がなうかがえる「暗夜行路」草稿
・夏目漱石から志賀直哉へ「(朝日新聞の連載が書けなかったことに対し)御心配には及びません」と書いた書簡(大正3年7月13日)


ほか、有島武郎、里見弴、木下利玄、長与善郎、柳宗悦、また、同人の思想に影響を与えた内村鑑三資料なども。